【問】意識の気づき~

意識として生きることに何のメリットが?


※以下のご相談はご本人の承諾を得て記載しております。また、個人が特定されるような情報(星の配置から生年月日を推測できるクンダリーの内容、ご相談内容の詳細など)はカットし再編集しています。主にジョーティシャやインド哲学による現象世界の解釈を述べています。

 

Bさん:

自分が魂とか意識なんだなってことはなんとなく納得できるのですけど、だからといって空を飛べるようになるわけではないし、ビルゲイツのようなお金持ちになるわけないし、今からオリンピックに出て金メダルとれるってわけでもないんだから自分が意識として生きることに何のメリットがあるのだろうと思ってしまいます。
自分が意識だとしても、相変わらず好きな人には思いが通じないし、友達はみんな恋人がいたり結婚していたりお給料が上がったりして仕事がうまくいってたりしているのに、自分だけ何もなくて・・もう一生このままなのかなと思って落ち込んでいます。

 

茶丸:

ブラフマンやアートマンという真の自己(意識/魂)があるというと壮大な宇宙意識があたかも全てを計画し創造しているような感じがするのですが、実際にはそれは「気づき」なのですよ。

注意を傾けるということなんです。
そこに光を照射し、これまでないと思われていたものを発見するような。

 

例えば自分が映画を見ているとします。その映画の主人公はお金がなくて泣いています。信頼している人に騙され、奪われてしまったのです。
自分は主人公に感情移入し、「これからどうなってしまうのだろう、あの騙した人はなんてひどいやつなんだ、もう人生はおしまいだ」…と不安に陥ってしまいます。
でもここで、自分という意識は観客であるばかりか監督でもある、ということを思い起こすと良いのです。


すると「あれはなんだろう…主人公から見て右側に金庫のようなものがある…大切な物が入っているのではないか?」そこにあるものに気づくことができるのです。
そこで監督として自分は言います。

 

「あっ、ここでライトをもう少し左に当ててね!そこに金庫があるから」と。
実際にはこの金庫を開けるための鍵が見つかるのは映画の筋書き上、一年後のことでした(これがプラーラブダ・カルマというやつです。カルマについては別項目で取り上げます)。

けれども、演じる側としてはどうでしょう。
「この人は今は落ち込んでいるけど、金庫の中に財産を持っている。
今すぐには開けられないけれども、この金庫の存在に気づいて、近いうちに開けることができるならば、今抱えている問題は解決するに違いない」とワクワクしながら演じることができます。
のちの展開を知っているので「よっしゃ、ここはドラマチックに演じないと!」とますます演技に熱が入るかもしれません。


そして一年後、鍵を見つけ開けたところ、中には主人公のおじいさんが残してくれたたくさんの遺産が入っていました。
でもそんなことはもうどうでも良いのです。
主人公はその一年の間にすでに一財産築いていました。


主人公は、自分が財産の収められた金庫を持っていることに気づいていましたが、まだ開けるタイミングでないことにも気づいていました。
全ては自分の真の望み、宇宙の法則のために起きているのだと捉え、何もないゼロからやり直すことを決心したのです。

 

主人公はかつて実業家として成功した祖父に憧れていて、自分もゼロから何かを立ち上げてみたい、何にも頼らずに自分で利益を生み出したい、という願望がありました。

それゆえに全財産を盗まれたり、金庫の鍵が見つからないなどの、一見望ましくない現象を引き寄せていたのです。
自分がゼロから立ち上げた事業によって、自ら利益を生み出すためにです。

 

ですから望ましいことも、望ましくないことも、全ては自分の真の願望のためであり、自分こそがこれら全てを創造したものを見つめる、唯一の観測者、意識なのです。
この真実に気づくという本当の目的のために自分はドラマを作り、演じ、鑑賞しているのです。


ここでポイントとなるのは主人公が打ちひしがれて、「人生は終わりだ」と思っていようが、

「全ては自分の真の望み、宇宙の法則のために起きているのだと捉え、何もないゼロからやり直そう」と決心しようが、
「一年後に金庫が開かれる」という事実は変わっていないというところです。


意識の力で奇跡が起きて金庫が勝手に開いた、というわけではないのですね。

 

ですから意識としては何もしていません。ただ光を照射し、気付くだけです。
でもこの一瞬の気づきがあるかないかで、大きく変容するのが人生なのです。