聖音オームについて『シヴァ・プラーナ』の記述


様々なマントラを詠唱する際には必ず、冒頭において「オーム」という聖音が捧げられます。
そもそも「オーム」とは何でしょう。怪しい、単なる宗教的な言葉なのでしょうか。

ここでは『シヴァ・プラーナ』という聖典の中で「オーム」について記述されている部分をご紹介します。
またこの記事は二〇十二年二月二十日シヴァラトリというシヴァ神を祝う吉日にて茶丸が学んだことをもとにして書き起こしています。

 このプラーナ(古伝説)では題名の通りシヴァ神が最高の神として讃えられています。シヴァ神は日本において七福神の中の大黒天、大自在天や伊舎那天としてよく敬われています。
『シヴァ・プラーナ』という聖典は二万四千詩節にて書かれています。

『シヴァ・プラーナ』では聖音オームの名である「プラナヴァ」の意味と、それを唱えることで悟りに到達するための利点が詳しく書かれてあります。
この「プラナヴァ」の意味を知らなくても聖音オームのみを詠唱し続けるならば、間違いなく悟り(真の自己実現)につながります。
また、三億六千回唱えると他の何の儀式や儀礼をしなくても自己を悟り、全体意識であるブラフマンに到達します。

聖音オームの名前「プラナヴァ」


まず第一に「プラナヴァ」の「プラ」とはプラクリティ(物質原理)から生まれたサンサーラ(輪廻転生)の海を表します。
プラクリティとは「すべてを完璧に作れること」を意味します。それはアートマンである真の自己を惑わし、プラクリティの産物である肉体こそ自分であると誤解してしまうほど完璧なものです。
そして「プラナヴァ」の「ナヴァ」とは船を意味します。つまりプラナヴァとは、プラクリティの海を越える船なのです。それゆえ聖音オームの名を「プラナヴァ」と呼びます。

また、第二点として「プラナヴァ」の「プラ」とは「プラパンチャ」を表し、「ナ」は「ない」、「ヴァ」は「あなたたちのために」という意味を示します。
「プラパンチャ」とは五つの知覚器官や行為器官、五大元素など五つでひとまとまりになる現象世界の事物を表し、ここでは特にサンサーラ(輪廻転生)を象徴します。
つまりここでは「プラナヴァを唱えている人にとってプラパンチャ(輪廻転生)は存在しない」という「プラナヴァ」と唱えることの結果を述べているのです。

第三点としてプラナヴァを詠唱するならば、無理矢理でもモークシャ(解脱)に連れていかれるという意味があります。「プラナヴァ」の「ナ」とは「ナ・イエート(無理やり連れてゆく)」とも解釈されます。
感情であるマナスは「いつかは悟りの境地へ到達したい」といいながら、なかなか行きたがりません。それゆえこのプラナヴァ(聖音オーム)を詠唱することによって強引にも解脱へ導かれると述べてあります。

またプラナヴァを詠唱するヨーギーやウパーサカ(ウパーサナを行う人)にとってはすべてのカルマ(行為)を滅することができます。
すべてのカルマが消滅した後、神聖な智慧がもたらされます。大変良く神聖な智慧を与えるのでオームは「プラナヴァ」と呼ばれます。


そしてマーヤー(幻力)のない状態でのマヘーシュヴァラ(シヴァ神)の名はナヴァ(新しい)です。それゆえ「プラナヴァ」という名前は「大変新しい、まったく穢れのない、清らかさ」を表しています。

さらにオームを示すデーヴァ・ナーガリー文字のシンボルは最初のリンガ(しるし)であると述べられています。
シヴァリンガの形はオームの形と同様であり、オームの文字中の右側に水平方向に伸びる部分はプラクリティを表しています。

ところでプラナヴァには二種の形があります。一方は粗大な形、他方は微細な形です。
オームは微細な形を示し、五つの文字を備える「ナマハ・シヴァーヤ」は粗大なプラナヴァを表します。 
今生にて悟りを開いたジーヴァン・ムクタに該当する人々は微細なプラナヴァ(オーム)だけを詠唱します。オームは悟った覚者の精髄であるからです。

そもそも覚者のためには何も必要ありませんが、肉体を持つ限りオームの詠唱をすべきです。
覚者はこの肉体を去るまで微細な形のプラナヴァを唱え、パラマートマン(至高のアートマン)の真理を瞑想すべきです。
これらを行い続ければ肉体を去って後、間違いなくシヴァ(ブラフマン)の境地に到達することになるのです。

 「プラナヴァ」の意味を考えずにオームの詠唱を続けたとしても、間違いなくヨーガ(真の自己との合一、統合)を得ます。また、三億六千回唱えると他に何もしなくてもアートマン(真の自己)と合一します。
 覚者やオームの意味を理解している人は詠唱してもしなくても良いのです。
しかも悟りを開いておらず、意味も分からない人が間違っても三億六千回詠唱するならば、ブラフマンへ到達することになります。